NHKの大河ドラマが始まり、今話題の「平清盛」。実は平清盛と『筥根山縁起并序』には、繋がる物語があります。
平家全盛の時代、誰も平家に反抗する人はいなかった頃に、源氏、後白河法王らが平氏討伐に動き始める時のことです。
奈良の興福寺に信救得業(しんきゅうとくごう)と言うもの凄く頭のいい知識僧がいました。
この知識僧は、別に大夫房覚明の名前も持ち、後に源義仲の右筆を務めました。信救得業(大夫房覚明)は、誰も平清盛を批判する人がいない時にあえて興福寺より、三井寺、あるいは比叡山延暦寺の僧兵に向かって檄を飛ばします。興福寺に以仁王(もちひとおう)より平氏討伐の手紙(以仁王の令旨)が届き、それを受けて檄文を送ったわけです。
檄文には「清盛入道は平氏の糟糠(そうこう)、武家の塵芥(じんがい)」と書かれ、「清盛は平氏の味噌っ粕(糟)、武士のゴミ(塵)だ」とまで罵倒したすごい表現です。勿論、それを聞いた平清盛は大変激怒し「首をはねろ」と言って、信救得業を追補しようとします。
追われる身となった信救得業は、自ら身を隠し奈良から北陸方面へ逃げます。信救得業は木曾義仲(源義仲)の元で右筆となり、準備を固めて木曾義仲と共に平氏を京都から追い出す事に成功します。 その後、木曾義仲は源頼朝と仲違いし討たれる事となりました。同時に信救得業は行方不明になりましたが、実は箱根神社に潜伏していました。そして、箱根別当の右腕となり、『筥根山縁起并序』を作ったとされています。